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「妖怪」の定義って? - そふぃあ 

「妖怪」の定義って? - そふぃあ  2008/03/24 (Mon) 23:33:07

はじめまして、以前Ikuさんのサイトにお邪魔させていただきましたそふぃあという者です。
今回、サンデーで「四魂の玉を取り込んだら心まで妖怪になる」という話が出たので、
ふと「『犬夜叉』における妖怪性」についての皆さんのご意見を聞いてみたくなり、
こちらに投稿させていただきました。

今まで『犬夜叉』において人か妖怪か半妖かといった区別がクローズアップされる際には、
①物理的属性として
②心理的状態として
のふたつのパターンがあったと思います。
物理的というのは、例えば犬夜叉は半妖だからかごめの矢が万一当たったりしたら大事になるとか、
弥勒や珊瑚は人間だから奈落の沼気で死ぬ確率が犬兄弟より高いとか、
鋼牙君は完全な妖怪だから白霊山の結界で浄化されてしまうけれど半妖の犬夜叉は朔バージョンになるだけですむとかそういったレベルの話です。

一方、心理的状態としての妖怪性とは、例えば犬夜叉の初期の妖怪化のように殺すことを楽しむような精神状態になってしまうことです。
このふたつの間には相関関係がありそうでもなさそうでもあるため、非常に戸惑っています。

例えば、殺生丸は純度100%のかなり強い大妖怪として描かれてますが、
慈悲の心という初期の妖怪犬夜叉とは正反対の気質を身につけました。でも、そのことによって妖怪としての妖力が弱まったりはしてません、
むしろ話が進むほどに強くなっていってます。

そして奈落も、
(白霊山で人の心を捨ててから梓山編冒頭で拾ってくるまでのいわゆる「新生奈落」期間は別かもしれませんが)
その邪悪さはむしろ人間の心があるが故という風に描写されていましたし、
前回のサンデーのかごめの台詞でもその線が肯定されていました。

でも…人が人として邪悪になることと、四魂の玉の力で「心まで」妖怪になることは同じなのでしょうか、違うのでしょうか?
違うのだとしたら、その違いとはいったい何なのでしょうか?
少なくとも、今までの展開をみる限り犬夜叉や奈落のような半妖には
(四魂の玉を使うにせよ『鏡の中の夢幻城』の命鏡のような手段を使うにせよ)
殺生丸のように自分の心を保った状態の完全な妖怪になることはできないことだけは確かなようですが…。

私が自分の考えを述べることで皆さんの意見を誘導することは避けたいので、
今は私の考えは書きません。

皆さんのご意見お待ちしています。



犬夜叉の世界における「妖怪の心」と「人間の心」の二層性 その1 - Iku  2008/03/31 (Mon) 14:05:16

そふぃあさん、こちらでもこんにちはv
美味しそうな話題をありがとうございます。


私も、一見矛盾いっぱいだと思っています。

第546話「奈落の望み」で、犬夜叉が言っておりましたが、
この「犬夜叉」という作品で言うところの人間の心は、ある意味かなり“限定された”ものだと思うのです。そして、二重構造になっているのかなと。

作者が主人公である犬夜叉の意識を介さない部分での「妖怪の心」というものの基本には、弱肉強食といったものがあるように思います。

作品冒頭で朴仙翁が殺生丸に語った、「どんな局面でも心は醒めていて、己を失わない」といったような妖怪ならではの力(強い妖力、優れた身体機能や長命な寿命など)に裏打ちされたもの。
そこには力強い者が勝ち、力弱い者は悪とまではいきませんが、生きる価値もないといった割り切った価値基準。
場合によっては、弱さには蔑みの対象としての感覚はあるのかもしれません。
そういう意味で、人間(半妖も半分が人間故に妖怪から見れば人間の亜種)は弱き存在として、悪意を向けるべき対象としてではなく、単純に蔑みの対象として位置づけられていると思います。

戦いに負ければ、自分の命を代価として支払う。
そう考えると、殺生丸はその価値基準のとおり、犬夜叉に鉄砕牙で斬られたことによって失った左腕に恨みごと一つ言いませんでした。

殺生丸は今もその基本的な基準は変わらないと思います。
ただ、そこに人間的な他を思い遣る心も身につけたといったところでしょう。


妖怪に変化した犬夜叉が戦うことにワクワクして、意識を吹き飛ばしてしまったこともそれに近いかもしれません。もっともあれは、妖怪の心というよりは過大な妖力に呑まれ、己の心を見失った姿でした。単に大きな力をふるいたいだけ。そんな力をコントールして押し留めていたものは犬夜叉自身の心だったため、彼にとっては制御が効かなくなることは、妖怪の心に変化すると感じられたのしれません。
それでも、作者目線の捉え方は、「心をなくす」という表現。
どこにも悪意をもって、陥れるという表現はなかったと記憶しています。


次に続きます。


犬夜叉の世界における「妖怪の心」と「人間の心」の二層性 その2 - Iku   2008/03/31 (Mon) 14:06:24


一方の、人間の心。
犬夜叉が語るところの人の心は、慈しみの有無を基準にしているかと思います。
それは、人間の母、桔梗、かごめや仲間たちから、受け取った直霊という状態の人間の心だと思います。
彼は半妖ゆえに、妖怪から蔑みを受けてきました。
妖怪から見れば、それは単純な線引きだとしても、彼から見れば悪意としか映りません。
多くの妖怪には、別段慈しみの心はありません。
そういう意味から、慈しむ心を人間の心と捉えているのだと思います。


ただ、人間の心には「闇」に通ずるものがあると考えられます。
多分に、犬夜叉が口にするところの、妖怪の心。
けれど、実際には、これこそが人間の心のもう一面だと思います。
その代表が奈落によって代表されておりますが、過去に登場した人間たちの中にもやはりこちらに属す者が多数ありました。

それでも、犬夜叉はこれを人間の心とは規定していないようですね。

犬夜叉が捉える妖怪の心は、自分の経験=自我を失った心。
強大な妖怪の力に自我を失った犬夜叉は、大切に思う者さえ見分けがつかなくなり傷つけることがあります。けれど、本来そこには悪意はありません。
あるものは、単に自我が戻った時に覚える罪悪感です。一番近いところでは力に溺れるといったところでしょうか?


こう見てみると、本来人間の心も妖怪の心も対立する位置にあるわけではありません。
「情」の明暗に左右される人間の心と、単純に「持てる力」による冷然たる価値基準。
対立するものを含むモノはまさしく人間の心です。

犬夜叉の心は最初から人間の心、人間としての価値判断に立脚しています。
その基準から見て、きっぱりと冷徹に力のみで判断する妖怪の価値基準が異質に映り、人間の負の心由来の「邪悪な心」と混同してしてしまっているのかな?
いや、実際には力で押し切る戦いをけっこうしている犬夜叉ですけど、その際の負けた時の代価は自分の命という捉え方もちゃんとあると思うのです。ただ気づいていないだけで。


「奈落の望み」で犬夜叉が奈落に向けて語った、人間の心と妖怪の心は、あくまで人を慈しむ道を選ぶか、人を憎しみ陥れる道を選ぶかといったものだと思います。
ようは、妖怪という人間に勝る「力」を生れながらに持つ半妖が、「直霊」か「曲霊」、いずれに通じる道を選ぶのかといったことを、彼なりのフィルター(いとも簡単に他者を傷つけられる心)を選ぶかどうか、慈しむ心を持つか捨てるかという、彼ならではの人間の心を語った言葉だと思います。

犬夜叉も殺生丸も、勝敗をそれなりに素直に受け入れる価値基準と、「正」の方向、直霊に根差した慈しみの心を持っています。
奈落はそれにひきかえ、「負」の方向、曲霊に根ざした嫉妬、謀略といった憎しみの心を持っています。

こう考えると、何となく落ち着くのですが、いかがでしょうか?(^^ゞ



Re: 「妖怪」の定義って? - ゆう   2008/04/01 (Tue) 00:30:38

そふぃあさん はじめまして♪
Ikuさんこんにちは♪

こちらのスッレッドは最初から「面白い!」って注目してたんです。でも時間がとれず来れなくて・・・。Ikuさんの犬夜叉愛にあふれた二層論もとても興味深く拝見していました。
そふぃあさんのおっしゃる「妖怪の心・人間のこころ」が今後の犬夜叉の展開の「肝」だと思います。これについてはずーっと、私ももやもやしてました。
留美子先生はエピソードを積み重ねるだけで、ちっとも解説して下さらないですから(笑)。

そふぃあさんが「妖怪性」を ①物理的属性と②心理的状態とに分けられたのはわかりやすいですね。
そこで、その心理的側面、「犬夜叉」世界の妖怪と人間の心の違いを、私もこんな風に考えてみました。

まず、妖怪、人間、半妖の心の共通項と違いです。

最初に、基本的に妖怪も人間・半妖も「四魂」を持っている。
すなわち、勇、智、親、愛・・・の心を持っている。
(つまり、完全な妖怪の殺生丸にも、慈しむ心はデフォルトとしてあったと考えます。)
しかし、そのあり方、傾向にはかなりの違いがある。器の肉体の強さ、寿命の違いと密接に関わることですが。

妖怪の心(殺生丸・鋼牙・飛天など)
1.自己の意思・望み(欲望)に忠実=ゆるぎない自信
2.激しく、強い
3.即断即行(迷いがない)

人間のこころ(珊瑚・弥勒・かごめ・蛮骨など)
1.自分の望み(欲望)だけでなく、他者への想い、他者からの暗示、誘惑等に影響されやすい
2.弱く、壊れやすい(繊細)。しかし、時に妖怪を超える、思いがけぬ強さを持つ
3.恐怖、倫理観、罪悪感などに阻まれ迷い(葛藤)が生じやすい

また、同じ人間でも、個人差があり、戦国時代、Ikuさんのおっしゃるように弱肉強食の闘いに明け暮れていれば、妖怪の心のような本能的な強さを持たねば生き残れません。
(珊瑚が奈落に扱いやすいのは妖怪との戦いの中で培った心を持っている、そのためか)
また、妖怪も七宝のように子供であれば、人間と交わる事で人間的なこころを育む場合もある。

そして、半妖の場合は、両方の心を持っている。
しかし、ひとたび妖怪の心が、人間の心を圧倒すると、人間の心は闇の中に落ち、妖怪の心は暴走してしまう。そふぃあさんの仰るように
>少なくとも、今までの展開をみる限り犬夜叉や奈落のような半妖には
殺生丸のように自分の心を保った状態の完全な妖怪になることはできないことだけは確か・・・。
そうみたいですね。
また、半妖が、そうやって、人間の心を手放すのは「絶望」にとらわれた時
そして、闇の中から人間の心が呼び覚まされるのは「望み」の光が灯った時。
Ikuさんのおっしゃるとおりですね。

犬夜叉が自分がかごめを手にかけたと思い「絶望」の闇に沈み、かごめの声と血の匂いで、かごめが生きている「望み」で甦ったのは象徴的です。

さて、それで、
>でも…人が人として邪悪になることと、四魂の玉の力で「心まで」妖怪になることは同じなのでしょうか、違うのでしょうか?

これですね。

四魂の玉は清められてるか穢れてるか、正邪によって影響が違う。
また、人間であること、妖怪である事それ自体は正邪と等しいわけではない。

これらのことを踏まえて、こんな例えはどうでしょう。
「心」を絵を描く時の色彩になぞらえてみては

          妖怪←→人間  は色の彩度(妖怪はより鮮烈!)
四魂の玉がらみ  正 ←→  邪   は同じく明度

つまり、妖怪であることが必ずしも邪ではない違うベクトル上にあるとの考えです。ですから、組み合わせはいく通りもある。そして同じ者の心が刻々と色を変えていく事が出来ると考えてはいかがでしょう?
人間が「たたりもっけ」の「まゆ」のように、「絶望」から妖怪化 もしくは邪の方に怨霊化→ 彩度は上がり明度は暗く。
しかし彼女がかごめによって自分のほんとうの「望み」に気が付いた時・・・暗い紅蓮の炎の中から彼女の心は甦ってきたのでした。最期の彼女の心は明るい朝顔色に・・・と言うイメージです。

半妖奈落が邪悪になるのは、穢れた四魂の玉の強い影響があるにせよ、あくまで半妖奈落本人の意志である。
しかし、四魂の玉を体内に取り込めば、妖怪奈落が人間奈落の心を圧倒し暴走する可能性がありますよね。(実際、奈落本人も読めないのかも。)この二つはやはり別物でしょう。
「この奈落が滅びても四魂の玉は消滅しない」とか口走って言ってるから既に奈落は四魂の玉の傀儡に成り果ててるのかもしれないですね。

長いな・・とほほ・・・失礼しました。
そふぃあさんのご意見、是非お聞きしたいです。


Re: ありがとうございます - そふぃあ   2008/04/08 (Tue) 23:30:43

Ikuさん、ゆうさん、レスありがとうございます。

私がはじめの段階で考えていたのも、
「妖怪らしさ」と「魂の邪悪さ」は別尺度だ、
というようなものでした。
といっても、犬夜叉の妖怪化を
どのように位置づけたらいいのか等については、
Ikuさんやゆうさんほど
明確な考えがあったわけではないのですが。

お二人の考え、本当に細かいところまでよく考えられていて感動! なのですが、
両者は完全に別尺度だ、というわけではなく
共通点もあるような気がして。

そう思う一番の根拠は、白霊山の結界の作用です。
殺生丸や鋼牙は妖怪だから浄化される、
犬夜叉は半妖だから朔バージョンになる、
神無は妖怪だけど妖気がないから結界の影響を受けない…
と、ここまでは素直に納得できます。
しかし、弥勒が結界の清らかさに寒気を感じたり、
七人隊が結界に居心地の悪さを感じたのはいったい何だったのでしょうか?
特に七人隊は、当時は彼ら同様四魂のかけらで命をつなぐ存在だったはずの琥珀が
結界の影響をほとんど受けていないことを考えると極めて不可解です。

やはり、七人隊(と、ファンの方には申し訳ないですが一応法師様も入れときますか!?)の
魂の汚れと「妖怪である」ということとは、
相当違うけれどどこかで地続きになっているのかな…と思えてきます。

以下では、その『地続き』というのが具体的にどのようなものなのかを考えてみますね。

多分、妖怪の血を受け継ぐ者は生得的性質としての「邪」を持っていて、
妖怪の血を受け継がない者は魂が汚れる、心の闇に囚われることによって
後天的に「邪」を獲得するということなのではないでしょうか。
そして、妖怪ないし半妖の持つ「邪」は、邪気や闇の心に対する一種の抵抗力となると考えられます。
体内に強い毒を持つ殺生丸が毒攻撃に対して耐性を持つように、
生まれながらに「邪」の属性を持つ者は邪気や闇の心に呑まれにくい、と。

ですが、生得的な「邪」はありさえすればどんな「邪」にも打ち勝てるというものではないのだと思います。
それがまさに、「殺生丸は妖怪の力を解放しても心を保てるけれど、
(少なくとも初期の)犬夜叉は妖怪化すると心を失ってしまう」ことの原因なのではないでしょうか。
つまり、完全な妖怪である分殺生丸の「邪」の方が犬夜叉の「邪」よりもより強い「邪」に対する耐性として機能しうる、ということです。

ここで問題になるのが奈落です。
奈落は半妖ですが、犬夜叉よりも「邪」に対する耐性は高そうです。
犬夜叉は汚れた四魂の玉が近くにあるだけで心を失いかけたのに、
奈落は四魂の玉を取り込むことまでしない限り心を失うことはなかったわけですから。

これに関しては、恐らく奈落の生得的な「邪」というのが
もともと人間の心の闇から醸成されたものだということによるのでしょう。
心の闇由来の「邪」は通常は後天的なものでしかあり得ないけれど、
奈落は鬼蜘蛛の邪恋から生まれ落ちた半妖であるが故に、
取り込んだ妖怪由来の「邪」と鬼蜘蛛の心由来の「邪」両方を持っている、と。

ある意味では奈落は生得的な「邪」も心の闇由来の「邪」も越えた存在であるとも言えるし、
その両方に誰よりも深く囚われているとも言えそうです。
あるいは「邪」そのものとも言えるかも。
通称「邪妖奈落」ですものね。

わー、なんだかまとまりのない考察になってしまいました。
わかりにくい点等ありましたらバシバシ突っ込んでやってください。
厳しいご意見大歓迎です。


半妖犬夜叉と半妖奈落について・・ - ゆう   2008/04/15 (Tue) 10:00:51

新年度、皆様、何かとお忙しい事と存じます。
かく言う私もよれよれしてます。
杜さ~~ん♪こちらへのお帰りも、お待ちしてます。
でも、無理なさいませんように♪

ありがとうございます。そふぃあ さん
とっても興味深い考察を、目からうろこと頷きながら拝見してました。

>「妖怪らしさ」と「魂の邪悪さ」は完全に別尺度だ、というわけではなく
共通点もあるような気がして。
おお、・・・そう!そうですよね。

>そう思う一番の根拠は、白霊山の結界の作用です。~~
>魂の汚れと「妖怪である」ということとは、
>相当違うけれどどこかで地続きになっているのかな…と思えてきます。

そう、白霊山の結界、とっても不思議な描写でしたよね。
そふぃあさんのご指摘の「妖力と汚れ」の地続き感、確かにありました。
更に疑問は「霊力」「浄化の力」白心上人のそれが、一種、禍々しくって、妖怪じみていませんでしたか?
桔梗の「死者」であること「死魂虫」も「穢れ」として捉えられていました。

「霊力」は目的の正邪とは別格に(更に死者でも)「能力」として発揮されるんでしょうかね。留美子さんはどう位置づけてるのか・・・。

>妖怪ないし半妖の持つ「邪」は、邪気や闇の心に対する一種の抵抗力となると考えられます。

この表現、素晴らしいと思います♪「一種の抵抗力」そうか、免疫みたいなものになりうるというわけですね。妖怪はこころもそうですね。
ただ、半妖に関して言えば邪気や瘴気に、肉体的には人間よりはるかに抵抗力がありますが、心に関して言えば、妖力が強まると、人間の心が食われてしまう(己を失う)人間にはない危険な弱さがあるわけですね。

>心の闇由来の「邪」は通常は後天的なものでしかあり得ないけれど、
>奈落は鬼蜘蛛の邪恋から生まれ落ちた半妖であるが故に、
>取り込んだ妖怪由来の「邪」と鬼蜘蛛の心由来の「邪」両方を持っている、と。
うーんなるほど。そふぃあさんのこの御指摘で、ひらめいたことがあります。
半妖、奈落と犬夜叉の違いはIkuさんのおっしゃる重要な「愛」の観点から見た違い、構成する魂の数の違い、だけでなく「自意識」のある場所が違うんですね。

思い返せば、鬼蜘蛛の心が無双として奈落より外に出た時こう言っています。
「桔梗は死んだ、玉も亡骸と一緒に燃えた。その時、消えろ!誰かの声がおれを・・・暗くて深いところに押し込めやがった。それからどれぐらい眠ったか・・・」
つまり、半妖奈落は妖怪としての自我がとうに支配権を握っている。しかし「己を見失ってはいない」わけです。それこそ、そふぃあさんの説の「邪」の抵抗力があるからこそだと思われます。
もっと言ってしまえば、
奈落の場合    顕在意識:妖怪奈落 潜在意識:人間鬼蜘蛛
犬夜叉の場合   顕在意識:人間犬夜叉 潜在意識:妖怪犬夜叉 
(全く逆ではないですか・・・・!
これでは「同じ半妖」といっても心は相当違いますよね。)

だが、あまたの妖怪の寄せ集めである奈落。Ikuさんが「奈落の望み」考察で追求してらした(とっても、面白いです!皆さんも是非)ように妖怪奈落を束ねる「何か」が必須です。それは曲霊なんでしょうか?!確かに奈落になる前、あまたの妖怪を引き寄せるためにそれが、作用したかもしれない。
しかし、曲霊も退場した今、奈落を奈落たらしめてるのは何でしょうか。
実は、そふぃあさんおっしゃるところの
>鬼蜘蛛の心由来の「邪」
そう、人間の邪なる妄念、つまり、他ならぬ 人間奈落。
なのじゃないかなと。

慌しいので説明がなってないかも、ですが・・・つっこみお願いしま~す!
シュタッ!(逃っ)




遅れまして…^_^; - 杜   2008/04/17 (Thu) 15:30:54

こんにちは、そふぃあさん。
とても面白いお題をありがとうございます。

「妖怪の定義」

私的には、「妖怪」にも二系統あるように思うのです。それを踏まえたうえで、定義を求めるならこんな感じかな? という事を書いてみますね。

自然を構成する五要素などから生まれてきた、俗に言う自然神的要素を持つ妖怪。朴仙翁とか宝仙鬼とかはこちらの部類のように思います。
どこか狛犬のイメージがある犬兄弟もこちら。
妖狼族の鋼牙くんや七宝ちゃんもこちら側になると思っています。こちらのグループは「妖=あやかし」
犬夜叉を知る前に読んだ小説の古文書の文面に「神の光」を「あやしきひかり」と読み下した一説がありまして、ああまさしくそれだなと。

自然の力って、人間にとっては大いなる恩恵を与えてくれる事もありますが、時には抗いがたい脅威でもあります。数千人数万人の命を一瞬にして奪う事すら稀ではありません。そんな事象を前にして人間はそれを怖れることはあっても、そこに「悪意」や「邪悪さ」を感じる事はないでしょう。
「神≠妖」なんだろうと私は考えています。
とても近しいモノではあるけど、でも違う。

なので「半妖犬夜叉」とは、ギリシャ神話などで多々見かける半神半人とも近い存在なんだろうと思っています。

慈悲の心を知る前の殺兄やりんちゃんの村を襲った鋼牙くんにしても、人間から見ればそれは残虐非道な振る舞いであっても、その行いの核にあるものは「邪」ではないのです。
一見とても良く似ていますが「そういうモノ」としか言いようのない事なのです。

そしてもう一つの系統。
自然の力のように「形」はないけれど、物事を動かしてゆく「意思の力」がその根源になるモノたち。
自然に逆らう事無く、また人間から見て災厄をもたらさないものであれば、その域に達したモノも上の「妖」同様だと私は考えているのですが、そうではない場合、「怪=もののけ」と見ています。

そうではない場合、つまり人間に対して害意のある存在になる事とは、「邪念」により本来の姿・能力とは異なったモノになった場合を指します。
人・動物・器物などなど、「邪念」で変化したモノ。犬夜叉の最初の敵であった逆髪の由羅などはその典型ですね。

つまり「邪念」、「邪」こそを生みの親とするモノ達。

そう考えると「半妖奈落」はまさしくこれに当てはまります。人間であった鬼蜘蛛の邪念があってこそ生まれた奈落。ただここで「半妖」と奈落が意識しているのは、鬼蜘蛛の意識が主体ではない存在だからでしょう。鬼蜘蛛は変化した途端、何者かにその意識を乗っとられたと言ってますから。
逆に鬼蜘蛛の意識がはっきりした状態だったら、50年前に犬夜叉を抹殺し、桔梗を我が物にして自分の欲望が満たされた時に、「妖怪鬼蜘蛛」として完成していたのかもしれません。

しかし、そうはならなかった。
何者かが、鬼蜘蛛の意識を封じ込めた。

なにが?

それが四魂の玉の意図する事だったのか?
なぜ、そんな事をするのか?

曲霊も退場した今、いったい四魂の玉の中に残っているものは何なのでしょうか?
これはこれから原作の中で描かれてゆく事になるのでしょう。

四魂の玉で心まで妖怪化する…、言い方を変えれば自分が自分であるという「自我」を手放すと言う事と同義なのかな?

自我を保つって、それは「心の強さ」とイコールのような気がします。
「邪」への抵抗力も、この「心の強さ」で説明できそうですし。
四魂と心のバランスってとても近しい関係なので、四魂の玉の影響を受けにくい=邪に染まりにくい=その者の心の力(パーソナル四魂(笑))がタイマン張って一歩も引けを取らない状態、なのかも知れないなぁと思ったり、です。

心の力(念)はともすれば、純粋な妖である殺兄や鋼牙君たちの力さえ上回る事があるかもしれません。力(暴力)では変えることが出来なかった二人の在り方を変えたのは、この二人に接した人間の心の持ちようでした。

まとまりのない文章ですが、とりあえず取り合えずこんな感じでポンと投稿します♪


Re: 「妖怪」の定義って? - そふぃあ  2008/05/06 (Tue) 22:48:38

ゆうさん、杜さん、レスありがとうございます。
そして、激しく遅滞してしまいすみません。

遅滞したくせにあまりお二人へのレスらしい内容が書けなくて申し訳ないのですが、
今回は奈落の「核」って何だろう? というところに
焦点を絞って書いてみたいと思います。

個人的には、奈落の「心」のもととなるものは、
それが鬼蜘蛛のものなのか奈落の心として変成されたものなのかは別にして
「人の心」だと思う、というか、そうであってほしいと思っています。

個人的には、四魂の玉の邪気(曲霊)やら奈落の体の成分となる妖怪の邪気やらは
奈落の「部品」ではあっても「核」ではないように思っています。
桔梗の霊力が弱まって押さえきれなくなった
(あるいは、桔梗に浄化された玉の中にいられなくなった)
ために外に出た邪念(曲霊)のようなものが妖怪を呼び寄せたかもしれないし、
妖怪の邪念と人間(鬼蜘蛛)の邪念を結びつける「糊」のような役割をしたかもしれない。
(我ながら美しくない比喩です…他に思いつかなかったので、すみません…)
でも、「奈落」の心を形成するものは他でもない、人間の心だと思います。

アニメでは蜘蛛の妖怪(何故か、人見蔭刀さん宅に出没した囮の蜘蛛妖怪にそっくり)
が鬼蜘蛛を唆すような描写もありましたが、
やっぱり有象無象やら四魂の玉の邪気レベルでは
「意志」と呼べるものは存在しなかったのだと思います。

ですが、無双編を見る限り「鬼蜘蛛の心」=「奈落の心」ではないのは明らかです。
ならば、何が「奈落の心」と「鬼蜘蛛の心」の違いなのか。
それは、「鬼蜘蛛の心」にはかろうじて存在した「絆を求める気持ち」が、
奈落の心からは完全に消えているということなのかな、と思います。

鬼蜘蛛は、桔梗を殺したくはなかった。
生きた桔梗を連れて、あの洞窟から逃げ出したかった。
でも、奈落は桔梗を「殺す」という方法以外では手に入れられない。
それは、奈落が他の妖怪を取り込んでより強くより邪悪な存在へと「成長」していく存在であることと関係しているのかもしれません。
自分とは違った強さを持つものと手を取り合い目標を達成するのではなく、
そのものを自らの一部とし、自分だけが強くなる。
それこそあの「風穴」にも通じる、ブラックホールのような存在。
だからこそ、奈落は絆を否定することばかり繰り返しているのかもしれません。
と言っても、何がきっかけで「鬼蜘蛛の心」から「絆を求める心」が欠落した「奈落の心」が誕生したのか、
それは答えを見つけられていないんですけれど。

「鬼蜘蛛の心」から「絆を求める心」が引き算されたものが「奈落の心」であると考えるならば、
「奈落の心」はある意味「心を喰われた鬼蜘蛛の心」とも言えるのかもしれません。
でも、それならなぜ奈落は妖怪化した犬夜叉と違ってああも冷静でいられるのか。

もしかしたら、そこに杜さんの指摘されている
>自然の力って、人間にとっては大いなる恩恵を与えてくれる事もありますが、時には抗いがたい脅威でもあります。数千人数万人の命を一瞬にして奪う事すら稀ではありません。そんな事象を前にして人間はそれを怖れることはあっても、そこに「悪意」や「邪悪さ」を感じる事はないでしょう。

>慈悲の心を知る前の殺兄やりんちゃんの村を襲った鋼牙くんにしても、人間から見ればそれは残虐非道な振る舞いであっても、その行いの核にあるものは「邪」ではないのです。

のあたりの話が絡んでくるのかもしれません。

犬夜叉は元々「自然の神」に近い妖怪の血を引く半妖だから、
「大切な人を護る気持ち」「弱いものに手を挙げないというプライド」という人の心が引き算されると
見境なく殺しを続ける存在になる。

奈落の妖怪性(邪)の根幹には「人の心の闇」があるから、
「絆を求める気持ち」という人の心が引き算されると
自分を強くすること、他人の絆を引き裂くことのためなら
どこまでも冷静に、狡猾になれる存在になる。

なんだか奈落考察みたいになってきましたが、
自分で建てた当初のテーマ「妖怪性」というところに強引に引き戻すと、
「犬夜叉、人と妖怪との間に生まれた半妖である貴様とわしとでは、そもそもの成り立ちが違うのだ、わっはっは」
(無双編よりおぼろげ引用…最後の笑いはわざと付け加えてます)
故に、他の妖怪や半妖を考察する上で当てはまる事象も
例外中の例外な存在である奈落には当てはめて考えちゃいけない、と…?

うわ、我ながらとんでもない結論だ(爆)

でも、例外が生じるところにはやっぱり原因と結果があるはずで、
そこに冠しては考察していく意味はあるはずなんですが…
今日はこの辺で力尽きさせていただきます(←オイ!)

皆様の温かく厳しいツッコミ、心よりお待ちしています。


半妖の心の“核” - ゆう   2008/05/14 (Wed) 23:54:29

そふぃあさん、お待ちしていました♪
あわよくば、こちらに、杜会長のレス再開なるかと、熱いまなざしで期待しつつ…!
>杜さん
先レス、お許しくださいね。

面白いですねぇ!そふぃあさんをはじめIkuさん、杜さん、そしてきっとこちらをごらんの方々も、それぞれの見方で、犬夜叉の世界を豊かに、解釈してらっしゃるのですね。
「妖怪の定義」というこのスレッド、それらが重なり合って立体的に、犬夜叉の
世界が浮き彫りにされていくようで、楽しいです。
本当に懐深い、広がりのある物語です。「犬夜叉」って。

そうこうしているうちに奈落が本編で退場してしまいました。(;。;)

そふぃあさん、そういえば、4月末にこちらに入れた私のレス読んで下さった
でしょうか(自然に、消えてしまったのでそれっきりに。)
そこでも、ちょっと触れたのですが、私も半妖奈落のそふぃあさん流に言えば“核”となるのは、人間の心と思っているのです。

心の“核”というそふぃあさんの発想があまりに好いので、ちょっとこんな風にイメージをしてみたのです。
よろしければ、おつきあいくださいね。

犬夜叉と奈落、二人の半妖は、一対の存在。太極図、と考えます。(絵:参照)
色違いの双子のように。(とんでもない!と犬夜叉ファンに言われちゃうかな;)
「成り立ちは違うけど、同じ半妖だ!」と犬夜叉が言っていたのは、、当初かなり理不尽だと思ったけど、実はこのことだった?!

犬夜叉の心は、人間の心。けれど、そこには、一点の陰、妖怪の心が核となっている。
でもそれこそが、犬夜叉の圧倒的な「強さ」の源泉。そして、地雷でもある。

そうか!犬夜叉の「鉄砕牙」は、彼の心中の“妖の心”の象徴なのかもしれません。
鉄砕牙を手に入れ、それを使いこなすことで、犬夜叉は妖怪の心を鍛え磨き、陶冶していったとも考えられます…。

一方、奈落は、妖怪の心を駆使し生きている。つなぎに使った鬼蜘蛛の心は、その絶望をきっかけに無意識の闇に落とされた。しかし、奈落を束ね奈落の核となっているのはその一点の陽 人間の心。
それがエネルギーの源泉、そして、最大の弱点でもある。

奈落はその心をどうあつかったか。奈落の存在にとって真実大切なものだった…桔梗への想い。それを彼は、まさに血みどろの努力をもって、解剖、分離した、そして、捨てきれずに再び取り込んだ。

そう考えると、奈落が四魂の玉を使うことで恐れていたのは、彼が、否定し抑圧し続けた「人の心」が暴走する…開放される…事だったと考えられないでしょうか。人の心は不条理で、そこには愛憎も嫉妬も絶望も、坩堝のように渦巻いていた。耐え難い激情の嵐、苦しみ、奈落の顔が夜叉の面のように変化したのもそんな内面の表現かもしれませんね。

そふぃあさんが「絆を求める心」とおっしゃったのは、すごく言いえて妙と思います。かごめに浄化された奈落の最期を見ると、将にそれじゃないかと思えてきます。
最期の独白が奈落の一部の鬼蜘蛛などではなく、奈落自身のものであったことが、この上もなく重要なのじゃないかと思います。
最期にやっと自分の中心、人の心を受け入れた 半妖奈落。
彼の心の中のイメージの桔梗はそこにいるのです。
奈落の最期が、どこか安らかな様子だったのは…そのせいかと。

う…そっか、、あれ、同時に、桔梗への完全敗北宣言でしたか…(!)

二人の半妖は、同じ桔梗という女を愛し、絆を求める人の心を持ちながら、全く違う道を行った。一方はその心を妖怪の心から守り、新たな絆を育てていった。もう一方はその心を、否定し貶め、更に桔梗そのものを妖怪の心で殺そうとした…。と…。

気がかりなのは四魂の玉が、最高に穢れてる時、「玉の願い」を奈落が願ったという事実…。かごめにとって、犬夜叉にとって!良いものとは思えないです。
今日の展開も中々…って、むちゃくちゃ進みすぎやん!

ごめんなさい。とりとめなくて。
ちょっとはレスになっていたでしょうか?


Re: 「妖怪」の定義って? - そふぃあ  2008/05/19 (Mon) 23:42:58

奈落の最期、あっけなくも穏やかでしたね。
ゆうさんの例え、なんだか聖書のミカエルとルシファーみたいです。
片や神に一番近しい天使、
片や神を裏切り悪魔の王になった堕天使。
でも、一説にはふたりは双子のようにそっくりな容姿をしているのだとか。

犬夜叉と奈落は見た目は全然似てませんが、
魂の状態はお互いが相手を白黒反転したようなもの。
一番よく似ていて、同時に一番似ていない存在だったのかもしれませんね。

犬夜叉と、それから人の心に近い慈悲を知った妖怪として強さを得た殺生丸が、
これからどんな生き方を選んでいくのか、本当に興味が尽きません。

って、本編ではかごめちゃんがそれどころじゃないことになってますが…。

短いですが今日はこれにて…。
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