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月華覇伝7-1 

月華覇伝7

 
 明け方、僅かにまどろんだ殺生丸の耳は、小さな軽やかな足音と澄んだ鈴の音が広い廊下の右手側より近づいてきて、左手側に通り過ぎるのを聞いた。

「――――― ?」

 聞き覚えのある足音に耳を澄ませていると、通り過ぎたはずの廊下の奥から、またこちらへと足音と鈴の音が戻って来る。そしてまた。ふと、今がいつ時なのだろうかと、透明の水晶を嵌め込ませた窓へと目を向ける。窓の下の端が辛うじて薄紫色に変わっていた。夜明けまで、もう少し時間がかかりそうだ。

「……一体、何をしているのだ。あれは」

 後宮に侍らせている側女の房の寝台の上で、思わずそんな呟きを漏らす。その足音の正体を知っている殺生丸だから、口をつくその台詞。殺生丸付きの後宮宮女とはいえ、まだ見習いの域を出ないどころか年齢的には何処からどう見ても子どものりん。まだ寝床で寝ているような時間だ。

「何をって、大事なご主人様を探しているんだろうさ」

 むわっとむせるような麝香の香りが鼻を打つ。まどろむまで、肌を合わせていたこの房の住人である、風舞の神楽だ。今朝方まで流した汗を、房内にある湯殿で湯浴みしてきたのか、いつもよりその妖艶な香りは増している。薄絹の下衣一枚のしどけない姿で濡れた髪を垂らしたまま、滴が薄絹の衣を透けさせてその下の豊満な肢体を露わにさせる。

「お前も、あれを知っているのか?」
「うん? ああ。後宮でも、ちょっとは有名な娘だからね」
「有名?」

 湯上りで喉が渇いたのか、神楽が金香酒を盃に注ぎ一口で煽る。そして、同じ盃に金香酒を注ぐと無作法に見える仕草で殺生丸の方へと差し出した。殺生丸は一瞬、怪訝な顔をし視線の動きだけでそれを拒否した。

「おやぁ、毒なんて入ってないよ? 今、あたしが飲んで見せただろ?」
「…………話を逸らすな。私の問いに答えろ」

 低く冷たい声音は、先ほどまで抱いていた女にかけるにはあまりにも情が無い。殺生丸に勧めた酒を断られても、神楽も慣れたものかその盃の酒を、またも一息に開けるとあっけらかんとした口調で後宮内の噂を口にする。

「御上品に飼い慣らされた姫君に食傷あそばれた殺生丸様が、あてつけの様に薄汚い小娘をどこぞより拾って来られて、手元でご自分好みの女に育つのを待っておられる、とかさ」
「愚にもつかん噂だな」
「そうでも思わなきゃ、姫君たちの気持ちが納まらないんだろう。殺生丸様は、常軌を逸した趣向の持ち主だから、自分達は合わないんだと」
「……たかが、政略絡みの夜伽人形の分際で、大きな口を叩くものだ」
「仕方ないだろ? 怖がられてるのと同じくらい、恨まれてもいるしね。だってあんたの姫君たちに対する態度は、あたしから見ても、そりゃ酷いと思うし」

 そう言う神楽に対しても、殺生丸は他の後宮の側女と同じように扱っている。ただ耐性が違うのか、人がされてれば酷いと思う行為も、自分となるとそうでもないらしい。

「それに、そんな噂が出るのも、他の高貴な姫君たちをほったらかしにして、あたしみたいな下賎な女の所に通うからだろう?」
「……お前も食えない女だが、おびえた目をして作り笑いで媚を売られるより、よほどマシだ」

 珍しい殺生丸の言葉に、神楽は密かに胸をときめかせる。
 他の姫君たちが殺生丸を怖れるのに対し、神楽は怖れ以上に思慕も抱いていた。加えて、自分もまた下賎な出であると自覚している。家柄や高貴さや血筋などを引き合いに出され、何かに付けては同じ後宮住まいの姫君たちから、白眼視されていた。本来なら、こうして殺生丸の側女になれるような身分ではない。そんな自分の所に通ってくれる、それだけで神楽の気持ちは満たされていた。

「……あんた、気付いてないだろ? あの子、りんって言ったっけ? あの子があんたの側をうろちょろしていると、その物騒な気配が半減するんだよね」
「馬鹿な事……」
「不思議な子だよねぇ、りんって。ちっとも、あんたの事を怖がらない。だからなんだろうけどねぇ」
 
 神楽はそう言いながら、幼い頃失くした母の残した言葉を思い出していた。

 ……他人は、自分の心の鏡。自分が相手の事を嫌えば、相手も嫌う。好意を寄せれば、相手も悪くは思わない。だから、お前も心を歪ませてはならないよ ――――

( 殺生丸の心のどこを映せば、あんなにも慕わしげに信じられるんだろう? 幼いりんにそう思わせたものは、欲で濁ったあたし達の眼には映らないのかもしれない )

 神楽がそんな物思いに浸っている間に、殺生丸は身支度を整え終わっている。

「もう、行くのかい?」
「ああ」
「そのほうが良いだろうね。あの子はあんたが見つかるまで、この後宮中を休みもしないで、探し回るだろうからさ」

 殺生丸は神楽の言葉を聞き流し、西域から運ばれた厚手の絹織物の帷帳を潜り紫檀細工の房の扉へと手をかける。その扉が開くのと同時に、探し人を見つけたらしい、可愛い鈴の音が物凄い勢いで駆け寄ってくるのが聞こえた。閉じかけた扉の隙間から聞こえる鈴の音に良く耳を澄ますと、弾むような小さな足音も聞こえた。口の利けないりんだけど、その振る舞いでりんの思っている事は誰にでも手に取り様に判るのだ。

「……出会った時が溝鼠か野良犬で、今ならさしずめ兎の仔って所かねぇ。どうしてそんなに嬉しんだか、小躍りして飛び跳ねているのが目に浮かぶよ」

 目に浮かんだ情景に、思わず小さな微笑みを浮かばせずにはいられない神楽だった。


  ************************


 一人になった房の中は、朝日が差し込んできたと言うのにどこか寒々としている。現神官長の異母妹と言う肩書しか持っていない神楽には、この後宮内に心を許せる者など、実は一人もいない。そんな所が殺生丸の心境とも重なって、似た者同士が夜を過ごすだけだと、朝が来るたび思い知らされるのだ。
 自分の身の回りの世話をする女官達でさえ、実は異母兄の手の者。ここでの行動は、逐一異母兄・奈落に報告されている。

「……籠の鳥、かぁ。早くに死んだ母さんと同じ」

 神楽は窓際で、その母譲りの長くしなやかな手足と、魅惑的な肢体を朝の淡い光の中に浮かばせる。羽織っただけの薄絹の下衣が、神楽がくるりと身を回す度に光の風のようにひらりひらりと舞う。
 神楽の母は、何処で生まれたかもわからぬ流浪の舞姫であった。それがたまたま、今は亡き高貴な方の眼に留まり、そのまま寵姫とされた。そして、生まれたのが神楽。母は家屋敷こそ持たぬ流浪の民であったが、だからこそ、その目に映る大地の果てまでもが自分の故郷、高く覆う蒼天こそが我が天蓋。風の吹くまま、自由気ままに出会った人々の前で歌い、舞を踊って暮らしてきた。

 それが、どうした事か、城の奥で暮らす寵姫の身分に。

 一つ所に留まり、舞を所望されれば僅かな人間の前でのみ舞う。風切羽を切られ、大空を舞う事が出来なくなった鳥。そんな性に合わない暮らしをしていた母は、神楽が生まれた頃にはすっかり体を弱くしていた。そして、幼い神楽に見果てぬ草原の大地と、星降る大いなる天蓋の下で眠る安らかさを子守唄の様に語り聞かせ、神楽が四つの歳に逝った。それだけに、神楽は何よりも『自由』への憧れが強い。殺生丸に惹かれたのも、他を圧して自由奔放に振る舞う強さも要因だった。ここでの生活が決して『自由』ではないからこそ、傍若無人な振る舞いをしても抜け出したいのだと感じていた。

「母さんは好きでもない男に抱かれて、あたしを産んだ。あいつは周りから、この国の『継承者』だからと、好きでもない女を抱かされる。そう考えれば、少なくとも好きな男に抱かれているあたしは、マシなんだろうねぇ」

 すっかり明るくなった房の外、遠い目をして青い空を見上げる。視線を落とせば中庭を横切る大小デコボコな人影。見事な白銀の髪が朝日を受けて目に眩い。その後ろをちょこまかと黒髪の少女が付いて歩く様は、白鳳凰の後ろをカルガモの雛がついてゆくようで、どこか滑稽だ。神楽の口元に、ほんのりとした笑みが浮かぶ。

「あれに嫉妬するなんて、なんて馬鹿な御姫様達だろうねぇ。あんなの、楽しんで見てればいいのにさ」

 不思議と神楽の眼には、りんの存在がとても自由なものに映っていた。


   ************************


「……お前は、こんな朝早くから何をしている」

 ついてくるりんの足音を確認しながら、殺生丸は後宮にある自室兼執務室へと足を運んでいた。りんはその問いかけに答えるべく、急いで石板に文字を書きつけるとたったったと殺生丸の前に走り込み、その石板を殺生丸の前に掲げた。

「朴夫人からの伝言? そんな物の為に、お前は朝早くから走り回っていたのか」

 朴夫人はりんの身元引受人にして、この後宮の取り締まり差配役。実母同様、唯一殺生丸に取って、頭の上がらぬ相手であった。

「子どもの寝ている時間に使い立てさせるとは、恩顧夫人とも称された朴夫人も焼きが回ったか」

 殺生丸の言葉で、朴夫人が咎められたと感じたりんは、違う違うと首を強く横に振った。そしてまた、石板に何か文字を書きつける。

 ―――― 差配様のお言い付けは、昨夕の事でした。だから、悪いのはりんです。殺生丸様をお探しするに時間が掛かってしまったりんが悪いのです

 その文字は、りんの歳から見ればあまりにも美しい文字だった。また、その文字で綴られた言葉も、りんの内面を良く表している。

 健気さと責任感の強さ ――――

 文字が美しいのは、りんに手ほどきをした朴夫人の侍女達が名筆家だったからだろう。だが、書く言葉を選ぶのはりんの本質が選ぶ。ほんの一年ほど前までは、山に棲む野良犬のような暮らしをしていたのに、りんの中の『大事なもの』は少しも欠ける事もなく、今、強さを誇って光り出す。

( ……昨夕は気が荒んで、早々に神楽のところに籠った。それを面白く思わない他の者が、わざとりんに教えなかったのか? )

 そう悪い方に取りかけて、はっと気づく。

( いや、違うか。寵を競って足を引っ張り合う女達でも、りんのような幼き者に、濡れ場を悟らせるような事は良しとしなかったのかも知れぬ )

 となれば、りんを一晩中走らせたのは、他ならぬ自分自身であると殺生丸は気付いた。

「……言葉が過ぎた。朴夫人は、お前に取って大事な母代りであったな。お前も寝てないのであろう。用件を伝え終わったら、私が呼ぶまでお前は部屋で休んでいろ」

 りんは想いもかねないその言葉が嬉しくて、朝の光に一斉に蕾を綻ばせる野の花の可憐さを思わせる笑みを浮かべる。

「りん……」

 その笑みにつられる様に、殺生丸の口元もほんの少し緩んだことに本人は気付いていない。
 あの殺生丸が素直に自分の非を認め、労わりの言葉さえ掛け与える。誰が、こんな殺生丸を予想しただろうか? かつて、いや、今でも己の敵と判ずれば、一寸の躊躇いもなく切り捨てる男が、りんのような何も持たぬ者に情けをかける。

 殺生丸を少しずつ動かす『力』。
 それは、何も持たないからこそ持ち得る、『純なる力』なのかもしれない。

 しかし、りんは笑顔のまま首を横に振り、また石板にカリカリと言葉を書きつけた。

 ―――― 一晩寝ないくらい、平気です。りんは殺生丸様の小間使いです。殺生丸様が起きていらっしゃるのに、りんが休む訳にはゆきません。

 殺生丸の側にいるのが嬉しいんだと判るような、にぱっとした笑顔を向けて石板を差し出す。きらきらした瞳の力強い光と、全身からあふれ出る信頼と尊敬と好意が一つになった波長のようなものが、殺生丸の心のどこかを柔らかくくすぐる。

( ……そう言えば、りんはかなりの頑固者だったな。それも理を通した頑固者。ならば ―――― )

 ここで休めと言いつければ、休まないという押し問答になりそうだと殺生丸は察する。誰もが怖れて唯々諾々と殺生丸の言葉に従うのに、りんは自分の筋を通すためには、礼節を弁えながらもきちんと自分の考えを伝えてくる。

「判った。私の側付きのお前に、今日の仕事を与える。私の執務室に来て、私が良いと言うまで、あるものを守るよう命じる」

 今までにない指示に、りんの顔に緊張が走る。殺生丸の自執務室にある大事な物を守るという言葉も、りんの責任感を大きく刺激する。りんはにぱっとした、見ようによっては阿呆のような笑顔をすっと真顔に戻して、真剣な表情で深く頷いた。


  ************************


「失礼いたします。朴でございます」

 殺生丸の後宮内の執務室を、朴夫人が訪ねる。りんが一晩中走り回って殺生丸に伝えた用件は、本日の午後に殺生丸を訪ねるので、必ず在室していて欲しいというものだった。

「入れ」

 中から殺生丸の返事を聞き、朴夫人は静かに室内に入った。入った途端、この執務室には不似合いな、異質なものが夫人の眼に留まる。

「あらv まぁまぁ♪」

 夫人の眼に留まったのは、執務室の豪奢な長椅子の上で、小さく猫の様に丸まって眠っているりんの姿だった。今までであれば、この執務室で居眠りをするような者があれば、軽くて屈強な女官兵を呼びつけ叩き出すか、悪くすればその場で手打ちだ。それなのに、長椅子の上で寝ているりんの上には、殺生丸が執務室で羽織る上着が掛けられており、長椅子の側の大理石の卓の上にはりんが食べたと思われる龍眼の入った鉢がまだ残っていた。

「りんはちゃんと、御役目を果たしたようですわね。他の者では、こうは行かないでしょう」

 りんに取っても朴夫人は母代りだが、殺生丸にとっても実母である香麗国王に次いで頭の上がらない人物である。出来るだけ顔を合わせたくないと、来訪の言伝を聞いていても、あえて留守にする事もあるのだ。

「……りんを、一晩中走り回らせたからな」
「はい?」

 朴夫人が首を傾げるが、それ以上の事を言うつもりはない。言えば、この老貴婦人は顔を綻ばせ、慈しむ光を湛えた眼差しで自分の事を見るだろう。それをされたくない殺生丸だった。
 ふと、ほんの数刻前までの、りんとのやり取りを思い出す。


   ************************


 自分の言った指令に、鳩が豆鉄砲を喰らった時の様に目を真ん丸にしたりん。自分でも、滑稽な事だと殺生丸は、自分らしくなさに胸の内で苦い笑いを噛み殺す。


 ―――― この長椅子を守れって、どういう事ですか? 殺生丸様!?

 りんが筆談で、そう尋ねてくる。

「その長椅子は、私が愛用しているものだ。特に、頭の痛い事案などで疲れた時に体を休めるために。だからそれを盗まれぬよう、お前は見張るのだ」

 ―――― いえっ……! でも、この後宮の殺生丸様の執務室に泥棒が入るなんて、有り得ません!!

「……本当にそうか? りん、お前は絶対そうだ! と言い切れるのか?」

 ―――― えっと……、あの、その……

「主である私の言葉に、従えぬというのか?」

 ―――― あっ……! も、申し訳ありません!!

 筆談は途中から身振り手振りに代わり、言葉は無くともりんの『言葉』は良く伝わり、どこか面白さを感じた。
 そしてりんは、長椅子が盗まれぬようその上で、見張る事を殺生丸に言いつけられる。居心地悪そうに、豪奢な長椅子の上にちょこんと小さなりんが座っている。その違和感がまたも、面白味を醸し出す。
 長椅子に座っているうちに、散々後宮中を走り回り、朝食もまだなりんの腹の虫がグゥグゥと騒ぎ出す。りんが真っ赤になって顔を俯けてしまった。

「五月蝿いな」

 殺生丸の言葉に、りんの小さな体がますます縮こまる。その様子を見て、殺生丸は筆を執りサラサラと何か書き付け、執務机の上に置いている呼び鈴を振った。直ぐに執務室付きの女官が現れる。この女官も、朴夫人の館から後宮入りした数少ない信頼できる者であった。

「これを」

 殺生丸は現れた女官に、その書付けを渡す。恭しく、その書付けを受け取った女官が執務室を出たあと、紙片に目を落とした時に浮かべた表情を殺生丸は知らない。女官の口元には、ほんの少し柔らかな笑みが浮かんでいた。
 その女官が再び執務室に戻って来た時、その両手は黒漆塗りの大きな角盆を持っていた。盆の上には、湯気を立てている器と飲み物が入った茶碗と、少しの菓子と果物が盛った鉢とが乗せられていた。女官はそれを、りんの前に置く。

「?」

 りんが首を傾げた。どうして、これがりんの前に出されたか判らないと言う風に。りん達のような後宮詰めの宮女は、決して目上の者達の前で食事を取る事は許されていない。そして、それを当然とりんも思っている。

「お前の腹の虫を大人しくさせよ。そんな状態では、仕事にならん」

 盆を持って来た女官がりんに声をかける前に、殺生丸が事務的に言い捨てた。えっ? と言う表情のりんに、その女官が優しく笑いかけながら食事を取る事を勧める。目上二人に勧められれば、断る事など出来ないりんである。物凄い緊張感の中、恐る恐る湯気の立っている器から匙で一口、中のものを掬って口に運んだ。

「 ―――― !! 」

 口にした途端、りんの瞳がぱっと輝く。
 山羊の乳と蜂蜜で煮込んだ甘粥の、まろやかで優しい味わいがりんの口いっぱいに広がり、疲れがいっぺんに吹き飛ぶようだった。恐る恐るだった手つきが速度を増し、あっという間に器を空にする。それから喉が渇いていたのを思い出したように、茶碗に入っていた飲み物を口に含んだ。しゅわっとした初めての感触に、りんの顔が目の前で手の平を叩かれた子猫のような顔になる。その様子を、見るともなしに見ていた殺生丸の眼に、悪戯っぽい光が浮かんでいるのを、この女官は見逃さなかった。りんが飲んだのは、天然の炭酸水に桃を煮詰めて作った蜜に檸檬の汁を加えたものだった。
 味は気に入ったのか、またも恐る恐る茶碗に口を運ぶりん。一口含んで、口の中で弾ける感触に目をぎゅっとつぶり、それからゆっくり飲み下す。そのうち炭酸が抜けたのか、慣れてきたのか、ごくごくと飲み干してしまった。けぷっ、と小さく息をついて、最後に鉢の中の菓子に手を伸ばす。りんが手のしたのは、胡桃入りの揚げ餅。糯米を粉にした物に、砂糖楓の蜜を混ぜ、それを火にかける。ゆっくり混ぜて餅のようになったら、砕いた胡桃を入れて平たい盆に流し入れ、冷やし固める。それを幅、長さ共に指二本分くらいの大きさに切り分け、極上の胡麻油でからりと揚げたものだ。香ばしさとかりっとした食感を楽しむ。さすがにまだ鉢の中に残っている龍眼の実には、手が出なかった。りんの小さなお腹が、ぽんぽんに膨らんでいる。

 龍眼の残った鉢だけ残し、食事の終わった盆を女官が下げて執務室を出ると、あとには顰め辛しい顔で書類を読んでいる殺生丸と、お腹がいっぱいでちょっと苦しくなったりんが残された。静かな室内、日が昇り暖かな風が心地よく、居心地の悪い長椅子は実はとても座り心地の良い椅子で、しっかりと織られた厚手の絹の滑らかさが気持ち良い。そして、この椅子を守れと言いつけられて椅子から下りる事も出来ないりんは、昨夜から寝ていない。

 どんなに頑張っても、健康的な睡魔には勝てるはずもないりん。顰め辛しい顔で書類を読んでいた殺生丸が顔を上げると、りんは午前中の明るく柔らかな光の中でくぅくぅと可愛らしい寝息をたてて眠ってしまっていた。


   ************************


「……子どもの健やかな寝顔には、本当に癒されますわ」

 優しく微笑みながら朴夫人がりんの寝顔を見つめる。

「口が利けぬはずなのに、なぜか騒々しい娘だな」

 それは、りんが溌剌と後宮内を動き回っているからに他ならない。騒々しいのではなく、活発なだけである。

「ほほほ。まだ、子どもですからね。りんは」
「で、りんを使ってまで、私を執務室に留めた訳を聞こうか」

 今までの和やかさが影を潜め、仄かに物騒な気配が揺らめく。

「……犬夜叉様の母君の身辺に、何やら影が蠢いているようです」
「犬夜叉の……」

 そう言ったきり、殺生丸は口を閉ざす。
 やはり殺し合う運命なのかと、冷静に確認している自分を感じながら ―――― 



 
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~1月20日分まで 

拍手返信&雑談

一ヶ月ぶりの更新でしたが、沢山の拍手と温かいコメントに、この大寒の冬の寒さも吹き飛びました!!
本当にありがとうございます!!

無理をしないで、オフを優先。
それをモットーにしてきたお陰で、こうして細々とながらも丸8年近く大好きな作品の二次創作を続けて来れました。
これからも、こんなペースで書きたい話を書いてゆくと思いますv
こんな管理人ですが、よろしくお願いします♪

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月華覇伝6-3 

月華覇伝6         (サイト掲載済み)

 自ら舌を噛み果てた暗殺者達の始末を弥勒達に任せ、殺生丸はこの晴れない気分を持て余し、気がつくと毒仙の治療院の近くまで来ていた。そこまで足を運んで、ようやくあの娘はあれからどうなったのだろうと思い出した。
 まったく野に棲む鼠か狸か猿のような娘だと思う。薄汚く、すばしっこく、物怖じする事を知らない。血統の良い人に飼われる事を目的に飼育された犬や猫などは、同じ獣であっても殺生丸の放つ気に尻尾を垂らし小さくなったり、あるいはその気配を察すると逃げ出してしまうというのに、あの娘はあろう事か食って掛かってくる始末。それも、この殺生丸の身を案じて。

「……面白いものを拾ったのかも知れぬな」

 ぽつりと口をついた、その言葉。口元は、いつにない表情を微かに浮かばせている。
 そうして殺生丸は診療中にも関わらず、毒仙の診療室にずかずかと入り込んだ。

「どうした、殺生丸。まだ、傷が痛むのか」

 毒仙は入ってきた気配で相手が誰を察し、そちらには目もくれずにそう言う。その手には細長い火のついた線香と毒仙が特別に調合した艾(もぐさ)、背中を見せちょこちょこと艾の小さな山を燻らせているのは殺生丸の侍従の邪見。あの早馬の後遺症か、腰の痛みが取れなくて毒仙の手当てを受けていたのだ。

「せっ、殺生丸様っっ!!」

 その名を聞き、慌てて起き上がろうとした邪見の手や足に燃えついた艾が触れて、面白い踊りを披露する。

「煩いぞ、邪見」

 その一言に、ぴゅっと邪見は上着を引っつかみ診療室の戸口で深々と頭を下げると、どたばたとその場を後にした。

「……年寄りは労わってやれ。お前の為に腰を痛めたようなものだぞ?」
「あれが年寄りなのは、私のせいではない。それに、もともと痛めていた腰だ」

 やれやれといった表情を浮かべる毒仙。

「で、今日の用はなんだ? ワシの治療を受けに来たわけではなかろう?」
「ああ」

 用と問われて、答えるような用向きは無い。気がつけばここに足が向いていただけで、そのついでにあの娘の事を思い出しただけだ。生返事を返しながら、殺生丸は鋭敏な耳を傾け診療院内の音を探った。あの木の洞にいた間、何度もあの娘の足音を聞いていた。あの音なら、もう覚えた。
 そんな殺生丸の様子に、毒仙はにやりとした笑みを浮かべた。

「もしかして、あの娘の事を覚えていたのか? 薄情なお前の事だから、もうすっかり忘れてしまっていると思ったぞ?」
「……………………」
「残念だったな。あの娘は、もうここには居らん」
「居らぬ?」
「ああ、ワシが朴夫人に預けた」

 朴夫人、と聞いて殺生丸の表情が動いた。実母が国を離れている今、実質殺生丸の母親代わりも務めているのが朴夫人である。家臣の妻に過ぎないが、それでも頭の上がらぬ相手である事は間違いない。後宮差配、いわば殺生丸の私生活を全て把握されているといっても過言ではない相手。

「そうか」

 もうこれ以上話すことは無いと言わんばかりに、殺生丸は踵を返した。
 
「なんだ。用件はそれだけか?」
「用件などではない」

 もう振り向きもせずにそう言い、毒仙のもとから立ち去った。

( ……面白いと思ったが、朴夫人の下できらびやかな暮らしをすれば、あの娘も飼い慣らされた猫のようになるのだろう。つまらぬ )

 思いのほか失望感を覚えた殺生丸の顔には、嘲笑めいた冷たい笑みが浮かんでいた。そして、この娘の事は、すっかり頭の中から消し去った。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 
 朴夫人の預かりとなった娘は、連れてこられた屋敷の立派さにただただ目を丸くしていた。大きな門構え、館の玄関に続く小路は趣向を凝らした庭を楽しむように緩やかに曲がりくねり、季節季節の花を愛でることが出来る。今の季節なら風除けの中で豪華に咲き誇る冬牡丹に、赤と深緑の艶やかさが鮮やかな椿の築山、同じ色合いで下草代わりに南天の赤い小さな実。やがて館の玄関が見える辺りには一面梅の木が植えられていた。早咲きの蝋梅がぽつりぽつりと光の玉のような蕾を綻ばせ、高貴な香りが微かに漂っている。
 見事な庭の景観に、しばしば足を止める娘に優しい眼差しを投げかけながら朴夫人は声をかけた。

「今日からは、ここがお前の住まいですよ。ですが、お前は『分』と言うものを弁えなくてはなりません。お前はこの屋敷の主筋でもなければ、正客でもない。だから、裏から入っていらっしゃい」

 優しくても、甘くは無い。
 きちんと娘の立場を教えるのも、この娘の為である。
 娘はこくんと頷き、きょろきょろと辺りを見回した。大きな屋敷なので、どこが裏口か解らない。その様子に朴夫人は館内に向かって一人の侍女の名を呼んだ。

「浅黄、浅黄! この娘を裏口に連れていっておやり」

 屋敷の女主人の言葉に、中からまだ年の頃なら十三・四歳くらいの少女が飛び出してきた。その後に朴夫人から屋敷の内向きの事柄を任された侍女頭も迎えに出てきた。

「お帰りなさいませ、朴太太。では、この子を裏口に連れて行きます」
「その子は口が利けないからね。でもちゃんと耳は聞こえているから、ここでの事をお前から教えておあげ」
「はい。解りました」

 浅黄と呼ばれた少女は娘の手を取ると朴夫人に向かって敬礼し、それから広い庭をぐるっと回って館の裏へと消えていった。

「さて、あの子にまず教えなくてはならない事を整理しなくてはね」

 館を取り仕切る侍女頭を従え、朴夫人は自室へ戻る。ついてきた侍女頭は、訝しそうな表情を浮かべていた。

「朴太太、あの娘は一体どういう娘なのでございますか?」
「ふふふ、お前の目にはどう見えますか?」

 と、侍女頭に問い返す朴夫人。

「……病人、でございますか? あまり育ちが良くないように見受けますが」

 屋敷の女主人が連れ帰った娘だ、下手な事は言えないと、世知に長けた侍女頭は暗に意味をかけてそう答えた。

「はっきり言っても、私は怒りませんよ? お前が見て取ったように、あの娘は育ちが悪い。何しろ辺境の地に住んでいた孤児で浮浪児ですからね」
「まぁ! なぜ、そんな娘をこの屋敷に!?」

 侍女頭のびっくりした顔が面白かったのか、朴夫人はさらに悪戯っ気たっぷりに瞳を輝かせ、十分間合いを取ってこう言った。

「しかも、あの娘をこの都に連れてきたのは誰あろう、あの殺生丸様」
「まぁ、まぁ、まぁっっ!!!」

 言葉を無くすというか、鳩が豆鉄砲を食らったというか、とにかく侍女頭の驚きようは一見の価値があった。くくくっと小さく笑う朴夫人の目にはうっすらと笑い涙が光っている。

「殺生丸様が、あんなちんくしゃな娘を? まさか、そんなはずは……。噂では、辺境に居るのが間違いのような、それは美しい娘に怪我の手当てをしてもらい、それで都に連れ帰る気になられたと聞き及んでいます」
「それは噂。噂は噂、真実ではありませんよ」

 はぁぁと、訳が判らないと侍女頭は不思議そうな表情を浮かべた。

「旅先で何があったかは、いずれ知ることが出来るでしょう。そう、なぜ殺生丸様があの娘を都に連れ帰るお気持ちになったかは、ね」
「はぁ、しかし……」

 侍女頭の胸の中は複雑だ。辺境の地で暮らしていた唖(おし)で孤児で浮浪児、本来ならこの屋敷に足を踏み入れる事も叶わない様な者である。侍女頭の気持ちとしては、出来れば屋敷から下がらせたというのが本音だ。
 しかし、そう、しかし。

( 殺生丸様がお連れになったとなれば、ぞんざいな扱いも出来ないのでしょう…… )

「では、わたくしも浅黄の手伝いに行きましょう。念入りに身支度を整えさえ、殺生丸様との謁見に相応しく、少しでも貴族の姫君のように見えるように」
「まぁ、なぜ?」

 今度不思議そうな顔をしたのは、朴夫人の方であった。

「殺生丸様が連れて来られた言う事は、あの者を後宮に召し上げる為ではないのですか? ならば、それに相応しい支度を」
「お前、それ本気で思ってますか? 見れば分かるでしょうが、あの娘のどこをどう見れば、後宮に侍っている姫君達のようになれると言うのでしょう? 見てくれ以前に、まず幼すぎます。殺生丸様には、そんなご趣味はありませんよ」
「いえ、それはわたくしも……。だから、どうしてだろうと」
「ええ、本当に。何をお考えか、掴めぬお方ですものね。あの娘にしても、おそらく連れ帰ってきたものの、その後の事など多分お考えではなかったのではないかと思うのですよ」
「それは、あまりにも……」

 無責任、と続きそうになった言葉を侍女頭は飲み込み、朴夫人の顔を見た。

「それに、あの娘はどれだけ磨いても、お姫様にはなれないでしょう? 分違いですからね。ならば、あの娘に合った身の振り方をつけてやろうと」
「それは一体、どういうものなのですか?」

 そこで朴夫人はまたも、くすりと笑った。

「あの娘の取っても、そして殺生丸様にとっても決して『悪くは無い』方法を考えています」

 そう言ったあと、朴夫人は侍女頭となにやら打ち合わせを始めたのだった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 浅黄と呼ばれた若い侍女は、娘の年恰好を見て自分と同じこの屋敷の下働き見習いで預けられた子だと理解した。ただ、それにしては娘の着ている物が病衣なのが気になった。病気の娘を働かせるほど、この屋敷は人手には困っていない。

「ねぇ、あんた。病気なの? それ、毒仙様の所の病衣だよね?」

 浅黄の問い掛けに、娘は袖や裾をめくり殆ど治った傷跡を見せた。そして、にこっと笑う。

「ああ、怪我をしていたんだ。怪我が治ったから、働く事にしたんだね」

 大きくこっくりと娘は頷く。その様は、栗鼠か野うさぎの様で、何と言えない愛らしさがある。

「じゃあ、あたしがいろいろ教えてあげるね。まず、あたし達は下働きだから、滅多な事じゃ表に出ちゃダメなんだよ。表に出る時は、今みたいにご主人様方に呼ばれた時だけ。それ以外は、裏で仕事をしなくちゃね」

 うん、と娘が頷く。

「屋敷への出入りも、裏口からだからね。今から場所を教えてあげる」

 浅黄は使用人の分を守って、美しい庭の景観を損ねないよう、庭の端を木立や山に見立てた大岩の影を選んで歩いてゆく。広大な庭を大きく迂回しながらようやく裏口にたどり着くと、そこには玄関先で別れた朴夫人と侍女頭の二人が浅黄と娘が到着するのを待っていた。

「ご苦労様でした、浅黄。お前は当分の間、この娘の教育係を命じます。お前が知っている事を、この娘にも教えてあげなさい」
「はい。承知しました」

 この浅黄と言う娘は歳若い下働きに過ぎないが、見所ありと朴夫人が見込んでいる娘である。侍女頭の補佐として、いずれ奥向きの用件なども任せる事になるだろう。

「それから……」

 と、朴夫人は後ろを振り返り、侍女頭に用意させたものを娘の前に置いた。それは浅黄が着ているものと同じ、この屋敷の下働きのお仕着せであった。ただ違うのは、そのお仕着せの上にきれいに洗われた、あの赤い絹の組紐とその紐の先につけられた小さな銀の鈴。軽いその鈴は少しの動きでも、チリンチリリンと可憐な音を立てる。またお仕着せの帯には四角い皮袋が縫い付けてあり、その中に大き目の土鈴が入っていた。取り出して振ると、ゴロンゴロンと言う重く低い音が響く。皮袋に収めると、多少動いても音は響かない。

「娘や、お前は声を無くした鳥のようなもの。鳴かねば気付かれぬままでしょう。だから、この二つの鈴をあげます。小さな鈴はお前のいる事を知らせ、お前を呼びましょう。お前は返事も出来ぬから、替わりにこの大きな鈴で返事をなさい」

 娘は少し緊張した表情で朴夫人を見つめ、真剣な瞳で頷いた。

「それにしても、名がないのは不便なこと。お前は、今日からこの鈴に因んで『りん』と呼びましょう」

 娘はびっくりしたような顔をしたが、自分でもその名が気に入ったのか飛び切りの笑顔で、さっそく大きな鈴を鳴らした。
 こうしてりんは、浅黄に屋敷での下働きの色々を教えてもらいながら、暮らすようになった。その傍ら、侍女頭ややはり朴夫人付の才のある侍女たちの手隙な時などに、読み書きも教えてもらった。鈴の返事だけでは足りない用件もこの先出てくる事を見越しての、朴夫人の計らいだった。飲み込みの良いりんは、まだ文盲の多いこの時代に少しずつ知識を蓄え始めていた。
 
 知らない事を学ぶ楽しさや、任された仕事をやり終えた達成感など、幼いりんを良い方向に成長させる機会をたっぷり与えられ、りんは持ち前の賢さと快活な性格をぐんぐん伸ばしていった。屋敷に随分慣れたと言っても、最初に朴夫人に言われたとおりきちんと『自分の分』を弁え、狎れる事無く礼儀正しい申し分の無い使用人に成長しつつあった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 あれだけ放浪癖のあった殺生丸はあの暗殺事件からこちら、いつにないほど長期間の王城暮らしをしている。暗殺事件の首魁を手繰る手立ては、残った暗殺者達。それを方や僧兵達は止むを得ない選択で持って切り殺し、此方殺生丸自ら尋問した暗殺者達は殺生丸に呪詛の言葉を残して自害した。
 闘犬をけしかけられた時の状況を分析すれば、かなり大掛かりな組織が動いている事は間違いない。あの爆裂する箱といい、見たことも無い大型で獰猛な犬達といい、そしてあの人数。

「心当たりがありすぎて、絞りきれんな」

 弥勒や琥珀が調べてきた書面を読みながら、己を嘲るように呟く。左腕は一年経った今も動かず、それもあって、以前のような気ままな忍び歩きも出来なくなっていた。もう一度、琥珀があの町まで出向き調べてきた書面には、不審な男達の集団が飲食をした際に香麗の貨幣を使ったとあった。その後、その集団をつけた町の者にも話を聞くことが出来、その集団は荒野で三手に別れ、うち一方は香麗に向かったと聞き出してきていた。

「香麗、か。黒幕が香麗にいると見せかけるにはあざと過ぎるほどだが、それすらも計算のうちかもしれん。厄介なことだ」

 そう考えるのは、現在香麗には後継者がいないからである。現国王は、狛與王妃でもある。闘牙王亡き後、王妃は誰とも再婚をしなかった。香麗王家の血を引いているのは殺生丸だけである。どうやら香麗国王の考えは、殺生丸にこの香麗を継がせたいと考えている節があった。

 ここで、もし殺生丸が亡き者となった場合、香麗はどうなる?

 まだ十分若い現国王に、新しい夫を迎えさせ後継者を産ませることは可能だろう。だが、先の叛乱でこの国王を除き、王家の人間が全て殺されたような事情がある。現国王を葬り、一気に国家転覆させる好機となるのだ。
 それだけではない。狛與の次期国王を殺そうとしたなどと国民に公になれば、いくら母の国であっても開戦は避けられない。

「そうなれば、今度は母と合戦をしなくてはならんのか。怖ろしい話だな」

 狛與の王位継承者は殺生丸の他に、第二皇子として犬夜叉がいる。
 犬夜叉が王位を狙っているなら、今回の事件もその周辺を探ればなにか出てくるだろう。だが、あの犬夜叉の事、その周囲で画策するものがいたとしてもおそらく本人は一切関知していない。

「……それでも、もしそれが明らかになれば、犬夜叉の身をそのままにしておく訳にはいかない」

 古代の王位継承争いは、すなわち兄弟での殺し合いに他ならない。
 本人が望んでいなくても、そうなる。

 血腥い風が、強く殺生丸の周辺で吹き荒れ始めていた。
 その風の中、ただ一人で立っている。
 それが王者として生まれついたものの宿命だとしても、あまりにも過酷であった。
 どこにも安らぎのない日々が、殺生丸の本質を歪めてしまう危険さえ孕んでいた。

 コンコン、と後宮内の執務室の扉を叩く控え目な音がした。
 続いて聞こえた、朴夫人の声。

「失礼致します。新しく殺生丸様付きの小間使いとなります者を連れてまいりました」
「小間使い? 要らぬ。琥珀や弥勒で事足りる」

 書面から顔も上げずに、にべもなくそう言って切り捨てる。
 警戒心の強い殺生丸は、側に置く者も限定していた。後宮での乱行が知れ渡ってしまい、普通の宮女や侍女くらいでは怖がって、側使いにならないのだ。後宮に篭る事がなかった今までなら、どうにかやり過ごせていたものも、この一年の王城暮らしで色んな所で差し障りが出始めていた。

「信用ならぬ者を置くくらい、愚かなことはないからな」
「その点でしたらご安心を。よく気が付く、口の堅い娘ですから」
「口が堅い?」

 口が堅いと言う者ほど、口が軽い。
 朴夫人の言う「口の堅い者」の顔を見てやろうと、殺生丸は顔を上げ、にっこりと笑っている朴夫人の方へ鋭い視線を向けた。

 その朴夫人の背後に、控えた小さな影。

 大きなつり目がちの黒い瞳、少し癖のある艶やかな髪、桜色に上気した幼い曲線の頬。

「お前は……」
「りんと申します。幼いながら良く気が付き、口の堅さは言うまでもありません。りんは殺生丸様のお側に仕える事を、なにより喜んでおります」

 その言葉に偽りがないのは、りんの嬉しそうな様子が雄弁に物語っていた。
 後宮宮女の大人っぽい装束を小さく作り直し、動きやすいように工夫したものを着込み、頭は片側だけを赤い組紐で結い、腰には四角い皮袋と硯石で作った石版を下げている。

「確かに、口は堅いな」
「はい。お側に居る時には、この小さな鈴の音が知らせます。離れた所から呼ばれる時には、この大きな鈴で返事とします」

 朴夫人はそう説明しながら、りんの腰につけた皮袋から大きな土鈴を取り出した。

「鈴の返事で事足りない時は筆談も出来ますので、この石版に書かせるようにいたしました」
「文字が書けるのか?」

 殺生丸はつい意外に思い、そう尋ねていた。

「頑張ったのですよ、りんは。本当に賢い子です」

 朴夫人の言葉にりんは顔を赤らめ、そしてほんの少し誇らしそうな様子を見せた。
 殺生丸は荒涼とした風景の中、上を向いて力強く咲いている名も知らぬ野の花を見つけたような、そんな心持ちがしていた。

 
 
 

 
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拍手返信 ~12月20日分まで 

拍手返信&雑談

前回は拍手コメント欄にてお返事してみたのですが、確認し難いなぁと実感しましたので、やはりこちらまとめて返信させてもらいますね。

拍手や返信不要のコメントも、いつもありがたく頂いていますv
更新してすぐに反応をいただけるなんて、創作者として本当に幸せ者です。
この気持ちを、これから更新する作品に反映させていきます!!

と言う事で、ここからは雑談ですv

今回の殺生丸は、連載当初のかなり「人でなし」な部分をおさらいしてみました。
原作の殺生丸が、連載初期には自分の行く手を邪魔するっていうだけで、人間の大将の首をもぎ取り、一軍勢を壊滅させてもなんとも思わないようなキャラだったので、この殺生丸もちょっとコワイところを書いてみました。

本当の所、殺生丸くらい高貴な身分だと自分の手で拷問を加える事はないんですけどね。
でも、自分の命を狙うような輩に何もしないでいるような兄でもないだろうと。
古代中国の拷問方法や刑罰は、かなり残酷で有名です。
そして、公開処刑されるそれらは、その当時の民衆の娯楽ですらあったと言います。
暗黒の時代とも言えるかもしれません。
なので、こーゆー事は割りと日常茶飯事でもあったのですね。

ただ、残酷な人でなしな事をしても、殺兄を「下衆」な感じにしたくないので、そこが難しいです。
なのでこの話の中の殺兄に絶対させない事をいくつか決めました。

1つ、人を利用しないこと。
人を騙したり、計略をもって陥れたりしないってことですね。

2つ、残虐なシーンほどシンプルかつ、理由のあるものに。
理不尽に振るう残虐な暴力はNG。どんなに残虐であっても、それにはそれに至る理由があるように書いています。
古代中国では、皇帝や国王に対しての反逆は、即死刑でした。これは、その当時の刑法で決められた正当性(?)のあるもの。残酷な刑法も、見せしめ効果で後に続く反逆者を出さない為のものでした。

3つ、信頼関係はディープに、恋愛関係はライトにv
まぁ、なんです^_^;
美味しい所は、一番最後のお楽しみって事で(汗)
殺兄らしい台詞をぼそっとその手のシーンで言わせるのは好きなんですが、変態っぽい言葉責めや道具や薬をつかったり、りんちゃんに無理やり卑猥な言葉をしゃべらせよう系は苦手なので、それは絶対しない!! とか。

こんな感じで、まだまだ「デレ」には程遠い兄。
そんな兄が、りんちゃんとの交流を通してどう変わってゆくかも重要な部分です。
りんちゃん、暫くは朴夫人のところでいろいろお勉強です。
ちゃんと「お仕事」が出来るようになるまでv
この話のりんちゃんのイメージは、「鋼の錬金術師」に出てくる、メイちゃんv
凄腕の錬丹術師で体術も優秀。
気持ちも強い、ある意味最強幼女。
アルにデレている所はちょっと別にして、その気持ちの強い所や動き的な(体術とは別に)ものは、物凄く参考にしています。

何の力も無い、言葉も喋れないりんちゃんが、どんな活躍をするかも胆と言えば肝ですね。
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月華覇伝6-2 

月華覇伝6         (サイト掲載済み)

 娘が薬老毒仙の手当を受けて半月、それは見違えるほど元気に健やかな様子に様変わりしていた。家族がいた頃からの貧しい生活のせいで、骨格も肉付きの華奢なのも変わらないが、肌の柔らかさや髪の艶などを見れば、半月前は今にも死にそうなぼろ布のような娘だったとはとても信じられない。
 折れたりひびが入っていた骨は完全につき、傷めた内臓も元に戻っていた。毒仙の薬の効き目の確かさもあるが、何よりもこの娘の生命力の強さの賜物だろう。まだまだ怪我人の範疇であるにも関わらず、痛みが治まり骨がついた頃から、何かと診療所の中をうろちょろしている。辺境の荒んだ町の外れで暮らしていた娘には、初めて見るものも多く好奇心の赴くまま、あれこれと指さしては手伝いの女官に言葉もないまま尋ねている風だった。そして、自分でも出来る仕事を見つけては、進んで身体を動かす働き者でもあった。

「毒仙様、あの娘さんはとても気が利く子ですね。言葉がしゃべれないのが可哀想ですが、そんな事を感じさせないほど元気ですわ」

 あの娘がここに運ばれて来てからずっと面倒を見てきた大柄の女官が、そう毒仙に告げる。

「うむ。相当荒んだ暮らしをし、大人達に酷い目に遭わされて来たというのに、あの娘の精神は少しも歪にはならなかったようじゃ。どこまでもまっすぐに、物事の何が「本当か」を見抜ける目を持っている希有な娘のようじゃな」

 女官も毒仙の言葉にうなずく。
 なぜ、あの人嫌いの殺生丸がこの娘を助けたのか、分かるような気がした。

「ええ、本当に。あの娘さんのおかげで随分と助かってますわ。ですが、そのお手伝いの時もあの病衣のままというのは……」
「そうじゃのぅ。元気になったのならなったで、あの娘の身の振り方を考えねばならんな」

 今も病衣のまま床掃除をしている娘に優しい視線を投げかけながら、さて、この娘の扱いはどうしたものかと思案する。ここに連れてきたのは殺生丸だが、だからと言って生物的欲求処理のための道具に過ぎない後宮の姫君達のような待遇を、とは考えていないだろう。物の弾みで拾って来たようにも言っていた。殺生丸は犬の仔や猫の仔を育てるような感性など、持ち合わせてはおらぬだろう。この娘の身元引受人としては、不適格だと毒仙は判断した。

「お前、後宮取締役である朴夫人にワシが話があると、伝えて来てはくれんだろうか?」
「はい、承知いたしました」

 手伝いの女官は毒仙の前で軽くお辞儀をし、それからすぐ後宮へと向かった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 朴夫人と言うのは、闘牙王亡き後、そしてその妻であった正妃が香麗国王として即位し狛與を離れる事になった時、次期国王である殺生丸と狛與の政権を託した朴大人の細君である。物静かな立ち居振る舞い、端々までに届く目配り心配り、そして何よりも筋の通った差配で後宮を管理している気丈夫でもあった。

 後宮へ使いにやった女官を従え、にこやかな笑みをたたえて朴夫人が薬老毒仙の許を訪ねたのはそれから間もなくのことだった。

「ごきげんよう、薬老毒仙様。わたくし、お声が掛かるのを今か今かとお待ちしてましたのよ」

 朴大人の夫人であるこの貴婦人は、人当たりの良さも別格であった。若かりし頃は人並みの美貌であったのが年を経る程にその人柄の良さで磨かれ、今では側にいるだけで癒されると、何かと人間関係の難しい後宮内にあって欠かせぬ存在となっていた。

「ほぅ、待っていたとな? して、それはなぜ故に?」

 毒仙が薬茶を淹れながら、そう朴夫人に尋ねた。

「だって初めてですのよ!? あの殺生丸様が、自ら若い娘を都にお連れになったなんて! 後宮中、いったいどんな娘なのかと、その噂で持ち切りですわ」

 ……主が構わぬものだから、退屈が充満している後宮内では愚にもつかない噂話ばかりが横行する。常日頃、そんな噂話など軽く流す朴夫人にしても、今回の出来事は椿事中の椿事であった。

「朴夫人、貴女まで若い姫君や女官のようなはしゃぎぶりとは珍しいのぅ」
「はしゃぎたくもなりますわ。あの後宮中の姫君達を道具を見るような目でしか見ない殺生丸様が、どんな経緯か知りませんが、それでもご自分の意志でその娘を連れてきた。大いに意味のあることです」

 そう述べた朴夫人の目には、殺生丸の身を案じる保護者としての慈しみの光が浮かんでいる。後宮取締役の夫人には、この後宮が殺生丸にとって決して癒しの場ではないことを知っている。殺生丸の妻になるために集まった各地の美姫達を道具のようにしか扱わない殺生丸と、そんな殺生丸を恐れる姫達。情を通わせることのない行為は、姫君達にとってはただの責め、拷問にも等しかった。
 そんな殺伐とした空気しか漂わない場所が、どうして癒しの場になるだろうか?

「……意味があるのじゃろうか」

 ぽつりと毒仙は呟いた。

「国境沿いの町近くの山間で、大雨で崖崩れに遭われた殺生丸様を自分が怪我をするのも顧みず助けた娘なのでしょう? いつもの殺生丸様ならば、褒美の金を与え医者の手配くらいはするでしょうが、ご自分で都までお連れになる事はないでしょう。きっとお側に置いておきたいと、そう思われたに違いありません」
「う~~む」

 どうやら噂先行で、「娘」そのものの認識にズレが生じている。
 いや、それだけでなく微妙に情報が混乱しているようだと毒仙は思った。
 どうやら、朴夫人の耳には殺生丸暗殺の経緯は伝わっていないらしい。

( ……おかしいな? 後宮内の重要な情報は朴夫人の耳に入るはずなのじゃが…… )

 殺生丸行方不明の一報が邪見によって宮中にもたらされた時、その場にはあの弥勒と珊瑚がいた。殺生丸に同行していた琥珀からの伝言も聞き、後宮警備主任の珊瑚から朴夫人に連絡が入っているものと毒仙は考えていたのだ。現に自分はそのすぐ後、弥勒から事の経緯を聞き、万が一の場合を考えて殺生丸の為の薬を弥勒に預けた。

( ……後宮内に密偵がいることを案じて、あえて夫人には知らせなかったのか、珊瑚 )

 そう毒仙は考える。

「殺生丸様が、初めてお気に召した娘と言うことになりませんか? 毒仙様。今までの姫君達は、それぞれ政治的な思惑があって、後宮に上がった方々ばかり。そんな柵のない娘なら、とお心が動いたのではないでしょうか?」
「まぁ、確かに柵のない娘ではあるな。じゃが、それがそーゆー意味合いのものかどうかは……。百聞は一見にしかず、じゃ。まずは、朴夫人の目で確かめられるが良かろう」

 毒仙はそう言うと、あの女官に先ほどまで診療所の廊下を磨いていた娘を呼びに行かせた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


「まぁまぁ、これは……」

 朴夫人の目の前に連れてこられた娘を見て、夫人は言葉を失った。
 最初から、後宮に上がってきた姫君のような娘とはこれっぽっちも思ってはいない。殺生丸が事故に遭ったのが国境沿いの荒んだ町の近くと聞いていたので、家柄やなにかも期待してはいなかった。ただ、殺生丸の心を動かすほど美しく優しい、似合いの年頃の娘だとそう思っていたのだ。
 だが、目の前には ――――

 朴夫人の前にいるのは、年の頃ならようやく七つか八つばかりの貧相な娘。美少女と言うのにもほど遠い。

「どうやら親兄弟を亡くした浮浪児らしい。あんな荒んだ町で、ようも生きながらえてきたもんじゃ」
「浮浪児……」
「おまけに、言葉がしゃべれん。いや、馬鹿なのではないぞ? どうやら、よほど恐ろしい目にあって言葉を無くしたようなのじゃ」
「まぁ……」

 娘はじっと夫人の顔を、まっすぐ澄んだ黒い瞳で見つめた。夫人ほどの目利きなら、この娘が性根の曲がった野卑な娘かどうかなどすぐ分かる。いや、そんな娘ならまず、あの殺生丸が連れ帰ることもない。
 夫人は目元を潤ませて、娘の小さな身体をぎゅっと抱きしめた。

「……お前は、まだこんなに幼いのにとても大変な目に逢った来たのね。でも、その瞳の輝きは失わずに、まっすぐに生きてきた。よく、がんばったわ」

 初めてあった貴婦人なのに、自分をこうして抱きしめて、心からの優しい言葉をかけてくれる。娘の瞳からも、嬉しい暖かな涙がぽろりとこぼれ落ちた。

「なぁ、朴夫人。殺生丸の奴が、そんなつもりで連れてきた訳じゃないってこれで分かっただろ? あいつの言い草を借りれば、野に棲む獣の仔を拾ったようなもんだそうだ」
「まぁっっ!!」

 先ほどと同じ言葉だけど、その意味合いは正反対。

「なんて言い草でしょう。獣の仔だなんて!! それでは、なんでしょう? 犬や猫の仔を育てるつもりで連れてきたとでもに言うのでしょうか? よく見れば、なかなか愛らしい子ではありませんか」

 今でこそ見られる様になってはいるが、ここに来た最初は、獣の仔と言われても仕方がないほど薄汚れた野生児だった。

「……あれが、そんな事をするような玉じゃないことは、朴夫人だって分かってるじゃろ? この娘をここに連れて来たのは殺生丸じゃが、あいつにこの娘の面倒は見れんじゃろう」
「判りました。この娘の身元引受人にはわたくしがなりますわ。この娘の身の振り方も、わたくしに任せて頂きます」
「そう言ってくれて、ワシも肩の荷が下りるわい。殺生丸の奴、この娘が気づいた時に顔を出したきり、ほったらかしじゃからな」

 そう言った毒仙の言葉が分かったのか、娘が不安そうな顔をした。

「……心配なの? お前をここに連れてきてくれたお方が、お前の事を忘れてしまったのではないかと?」

 娘が小さく頷く。
 夫人の思慮深い瞳が、娘の様子をじっと見つめている。
 貧しく言葉もない娘。あるのは、ただまっすぐなその「心」だけ。

( ……この娘は、殺生丸様の本質を見抜いているのかも知れませんね。だからこそ、自分がついて行きたいお方だと。なのに、自分が忘れられたかもしれないと思って、こんなにも不安になっている )

 朴夫人は、そう娘の心情を推し量る。

「そう…。そうね、お前なら、殺生丸様のお心を開くことが出来るかもしれない」
「って、まさか朴夫人。その娘を後宮に上げるつもりじゃないだろうな?」
「どうしてそう思うのかしら? 毒仙様」

 なにか企んでいるような物言いに、それはヤバクはないかと毒仙が釘を刺す。

「いや、なに、その……」
「後宮に上がると言っても、何も全ての女が殺生丸様の夜伽を勤める訳ではありませんのよ? 後宮の主が毒仙様のようなご高齢な方であれば、それもまた一つの閨房術ではありますが、お若い殺生丸様には必要のないことですわ」

 刺した釘をやんわりと刺され返した毒仙。物静かな物腰であっても、決して甘くはないのである。

「それでは、この娘を連れて帰ります。表で待たせてあるわたくしの馬車へ」

 こうしてこの娘は廊下の雑巾がけをしていた病衣姿のまま、この国の正妃不在の今、女性としては最大権力者である朴夫人の預かりとなり、豪華な馬車の乗客となったのだった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 この娘の事を忘れたのではないか、面倒見の良いとは言えぬ性格だからと、やいのやいのと言われていた殺生丸の方も、動かぬ左腕を別にすればほぼ完治の状態にまで回復していた。
 その一方であの後の事は、弥勒の手はず通り事が進んだ。脱出した殺生丸達と入れ違いで現場に入った兵士達は、崖崩れの土砂の下を必死で捜索する。その作業は一晩中続き、朝にはあらかたの土砂は片付いてしまった。もちろん、そこに殺生丸の姿はない。無かったことに安心した邪見や兵士達に対し、その様子を伺っていた暗殺者達は一瞬、呆然とする。
 しかし、もっと暗殺者達を慌てさせたのは、このまま捜索範囲を広げて作業を続けるだろうと思った兵士達が突然撤収し始めた事であった。予想外の展開に、暗殺者達は二手に分かれた。ぎりぎりまで邪見達の様子を監視する側と、この事態を黒幕である誰かに知らせる側とに。
 自分たちが、監視する側から監視される側に変わっていたことに、まだ気づいていなかった暗殺者達。知らせに走った二人は、弥勒が町外れに残していた僧兵が尾行した。邪見側に残った暗殺者は、顔と気配を知っている琥珀に特定され、都の近くまで来た時に取り押さえられた。

 ここまでは、弥勒の読み通りだった。
 しかし、ここからがそうはいかなかった結果である。

 僧兵と暗殺者、ともに互角の能力の持ち主であった。普段なら気づかれることのない僧兵の尾行に気づいた暗殺者は、相手が少人数なのを確認して反撃してきたのだ。切り結ぶこと、数刻。深手を負った僧兵達は、やむを得ず暗殺者達を斬り殺してしまったのだった。
 それでも、まだこちらには都の近くで取り押さえた暗殺者達がいる。取り押さえてからこちら、弥勒をはじめとする殺生丸の数少ない親衛隊の手で、厳しく取り調べられていた。勝手に死なぬように手枷足枷をかけ、舌を噛み切らぬよう猿ぐつわもかける。絶食による餓死を避けるため、特別な薬液を無理矢理喉に流し込んで命を長らえさせ、それなりの拷問も加えながら首謀者の名を聞き出そうと苦心していた。

 当事者として、また次期国王に対する反逆行為を働いた者を看過するような性格ではない殺生丸も、その場に立ち会っていた。時には、自らの手で暗殺者達を責める事もある。利き手の右手は使える殺生丸は、切れ味鋭い闘鬼神で薄く皮を剥くように暗殺者達の肉を削ぎもした。身体半分、赤くなるまで削いでみたが、暗殺者達の口は堅い。肉を削いだ事で死に至らぬよう止血し手当をした上で、今度は暗殺者の両手首を切り落とした。これでもう、刃を向けることは出来ない。

「まだ、口を開く気にはならぬか。では、次は両足首を落とそう」

 冷たく言い放つその姿は、麗しいだけに凄みを纏って地獄の悪鬼よりも畏れを感じさせる。足首を落としても口を割らねば、次は肘から下を、その次は膝から下、それでもとなれば肩から腕を足の付け根から太ももを切り落とし、達磨になるまで切り刻むことになんら躊躇はしない殺生丸である。
 それを感じ取ったのか、暗殺者達は互いに目配せをし、深く頭を垂れた。

「ほぅ、ようやく話す気になったか。首謀者の名を言えば、命だけは助けてやる。一生、牢獄暮らしだがな」

 殺生丸の投げた言葉に、暗殺者達は頷いた。殺生丸が視線で指示し、兵士の一人が暗殺者の猿ぐつわを外した。

「さぁ、その者の名を言え」
「他の二人の猿ぐつわもとって欲しい。俺が首謀者を守るために嘘をつくかもしれない。同時に同じ名を叫べば、信じてもらえるだろう」

 よほど殺生丸の責めが利いたのだろう。自分たちの言葉を信じてもらうために、進んでそう言った。その言葉を了解し、残りの二人の猿ぐつわも外させてやる。暗殺者三人は、もう一度互いの顔を見合った。

「殺生丸!! 貴様はいずれ心ある者たちの手で切り刻まれて地獄に墜ちる身だっっ!! 先に行って、待っているぞ!!」

 その言葉を残し三人は、舌を噛み切り殺生丸の目の前で命果てた。
 殺生丸は忌々しげに眉をひそめると、その場を立った。自分に向けられる憎悪など、いつも肌に感じている。それが目の前でぶつけられようとも、もう心は痛まぬ。

 そう、痛まないようにしてきた ――――
 
 己が己であるために。
 強いと言うことは、弱者の恨みを買うものだと幼い頃に理解した。
 覇者たるとは、多くの恨みと憎悪すら凌駕する存在でなくてはならない。
 それが、自分が選んだ生き方だ。

 殺生丸の方は、そんな半月を過ごしていたのだった。


  
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